忘れられた商店街
自分の生まれ育った地域に、
「キリン通り」という商店街があった。正式名称は「和泉明店街」。
駄菓子屋があったり、ケーキ屋があったり、お花屋さん、肉屋、八百屋、魚屋、小さなゲームセンター、文房具屋、ラーメン屋、酒屋、、
いわゆる昔懐かしい商店街の様相だった。
子どもの頃、商店街を通れば声をかけてくれる店主さんたちがいて、
お肉屋さんの同級生と一緒に遊ぶと、お肉屋さんのショーケースの向こう側に連れて行ってくれて、そこのおばさんが小さなホットドッグをこっそりとくれたり。
人の繋がり、が存在する場所だったように思う。
キリンという名は、上空から見ると商店街の形が動物のキリンの形になっていることで、「キリン通り商店街」という名だったと聞いているが、
シャッターをおろす店舗が増え、
住宅になり、駐車場になり。
キリンも足がなくなり、首から上がなくなり、胴体と一部の足だけが残る形となった。
そんな、ゾンビ化したキリンの商店街が、
ある時から、沖縄をコンセプトに売り出しを展開し、「沖縄タウン」として生まれ変わった。
周辺住民の1人だった自分にとっては、「沖縄のゆかりもないこの土地で、なぜ突然沖縄なんだろう」と不思議でならなかったが、
結果的にはメディアに取り上げられ、客足は増えて、リニューアルは成功した。
、、かに思えた。
注目を浴びたのは一時のことで、やっぱり寂れている商店街の姿に戻っていった。
キリンと沖縄のアイデンティティを抱えながら、今もこの不思議な商店街は存在する。
しかし、最近、また変わった形で息を吹き返す兆しを感じていた。
若い人、新しいお店が出来始めていることだった。
多少残っているメディア知名度からか、根本的に立地がいいからか。
ここ数年、お店が増えてきている。
しかも、ちょっとオシャレなバー、立ち飲み居酒屋、古着屋、など。
少し前までの下北沢を思わせるようなお店が出来てきた。
商店街が若返りを見せ始めていることは、嬉しかった。
少し話は変わるけれど、
この商店街の胴体部分に、車がよく通る道路が走っている。
東京の「10年計画」という、道路の再開発で、この道路も拡張されて大通りになる予定だ。
あと10年以内の間に、キリンさんから胴体までが奪われてしまう。
そうなるともう、
自分の知っている商店街の景色は無くなってしまう。
いや、とっくに様変わりはしているんだけれど。
10年のカウントダウンも、いつから始まっているのかわからない。
来年が10年目なのか、再来年なのか。
死刑宣告を受けたキリンさんは、その時が来るまで終わりの時を知ることはできないのだ。
そうした近年、自分は漠然と、何か恩返しがしたいなあと思っていた。
自分の住んでいるところも、10年計画の範囲内だから、同じタイミングで引っ越すことになる。
それまでには何か、ね。
そこで去年ごろから商店街のミーティングに顔を出すようになった。
年上の層の人たちは保守的。
そういうと印象を悪く感じる人もいるかもしれないが、
今までそうやって、この商店街を守ってきた人たち。
例年のイベントを例年通りやることで、ある程度はちゃんと盛り上がる。
だから継続してやってこれて、今がある。
若い層は、上の層の人たちから「何か新しいことできそうならやってみて」って言われてきていたのもあって、
新しい提案を考えるエネルギーはある。
しかしみんな店主さんだから、基本的には自分のお店をやっていくのでも精一杯だ。
提案を出しても、実現まで周りの人たちが協力してくれるわけでもなく。
ずっと硬直していた。
でも、ようやっと去年の11月ごろから提案があった「夜市」という新しいイベントを実現に向けて進めることになった。
イベントの内容は、
飲食店や居酒屋さんに、その日だけテイクアウトメニューを用意してもらい、
商店街全体に配置した椅子やテーブルを使ってお客さんが飲み食いできるようにする。
商店街をフードコート化するようなイベント。
基本的に飲み屋の店主さんたちが企画の主軸なので、ミーティングはお店が閉まる0:30ごろから。
終わるのは3時、4時。
初めての試みというのは、何でもとてつもない労力がいる。
区の補助金の申請をする関係で、精査することも多い。
この写真は、補助金の申請が通ったときのミーティングの一枚。朝4時。
知恵を出し合って作ってきたイベントが、7月28日にようやっと実現する。
正直、100%ボランティアとして、ただの一周辺住民として関わって、
「何やっとんやろ」
「自分、こんなに労力費やしていられる余裕ないやろ」
と思うことばりだったけれど、
スタート地点は「恩返し」なので、
10年計画というリミットまでに、商店街の若い世代の流れを作る手助けとなったならば、それでよし、だと思う。
自分は将来、この商店街の一角に、ライブハウス兼ダイナーのビルを建てたいという密かな目標がある。
地下にライブハウス、一階に音楽をモチーフにしたダイナー、二階に児童養護施設、という不思議なビル。
自分が商店街の中で育んだ暖かいものが通う、コミュニティを作りたい。
自分の選んだ音楽というものを通して。
この目標の詳細は、また別の機会に書きたいと思う。
この商店街に対する一連の行動は、
今まで育ててくれたこの街へのただの「恩返し」であって、それだけで完結している。
一方で、自分の人生においては、目標の為のストーリーの「伏線」をつくる行動だとも思っている。
「縁」や「想い」を受ける側から、作る側として、この場所に残す。
シンガーソングライター、221/つついわたるの番外編の話、でした。