人はなぜ花の種を植えるのだろう

なんて遠回りばかりしているんだろう、と。自分がとてもダサく感じてしまうことがある。

ぐるぐる、ぐるぐる。遠回りをしながら目的地に向かっていると、なんで自分はこんな遠回りな道を選んだんだ?っていう瞬間があって。

すぐにでも遠回りを放り出して、そこから見える最短ルートに復帰したくなる。

遠回りを選んだのには、それなりの理由があるのに。

そもそも、音楽や芸術は、効率や最短ルートを選ぶことから対極の位置にあるように思う。自分はそういうものに価値を見出す道を選択してきた。

なので、遠回りそれ自体に価値を感じなくなってしまったら、それは大きな矛盾だろう。遠回りをしているようでも、これもまた価値のある今を生きている。

効率的な音楽。効率的な人生。。。うーん。

「効率を学ぶ」っていう音楽的にとても遠回りな勉強をしている最近。脳内にジレンマが発生しています。

上手に思考と脳みその使い方を役割分担しなくては。

人はなぜ花の種を植えるのだろう。